1.誰でも任意保険は入っている?
車の任意保険は、今では、誰もが入っていると言うもので、むしろ入っていない人はないと言える保険です。
今時の賠償額は、入っていないと、事故が起きた時の損害賠償が行える額ではないと言う事だからです。人身事故では、1億円を超える時もざらにあると言います。
ならば、保険に入っていない(自賠責も任意保険も入っていない車=無保険車と言う)では、自賠責(人身事故で、生涯までは120万円。死亡時は、3000万円まで)でまかなえない時は、自腹を切ることになるのですが、それが、払えますか?…となります。
払えない時、貴方はどうする?…です。
しかし、今でも、中には入っていない人もいると言うのが現実だと言う事も知る必要があります。
2019年では、10台に1台は、入っていないと言います。
2. なぜ入らないのか?
・車検時に、自賠責は同時強制で入るが、車検切れのままの車は入っていないことになる
・何度も事故や交通違反をしている車の保険料率はそうでない車より保険代が高い。
等があると言います。これらは、個人のリスク感覚の範疇です。
ところが、もっと見聞を広めると、入らない理由が他にもあることを聞くに及んで驚かざるを得ません。
それは、保険と言う商品そのものの考え方にあります。
保険は、将来のリスクに備えて事前に保険料を支払うのが建前になっているものです。
そこで、何か事件事故が起きた時には、掛けた保険内容によって、保険金が出る仕組みですが、積立タイプのような満期後何割か受け取れるタイプでない限り、掛け捨てです。
これは、何も無ければ、支払い損と言う感覚は、顧客にはいつまでも残るのです。
ここには、何も事件事故はなかったが、将来の事故に備えた分を保険代で支払ったと言う意識はありません。
多くの人もそうでしょう。だから、「損した」と思います。この考え方が、宗教にもあるのです。
「ある宗教では、お金を支払っても何もなければ、壱円も帰ってこないと言う様な仕組みの事物は、不易をもたらすものであるから取り入れてはいけない。」と言う考え方があり、それ故、任意保険の様なものは入らないと考える向きもあると言う。
昨今のような時代でも、その様な考え方が基盤にあると言う事は、宗教である以上、揺るがすこと・変えることはできないと言えます。
もしものリスクに対応すると言う事は、個人も企業も、国家も変わりありません。
必要なのは、費用計算以上に、「リスクにそなえよう」と言う考えが何処まであるかです。
勿論金の要る話なので簡単に行くはずもないのですが、出来る限り、最低路線でも生活に取り入れることを考えないと、いつか生活が成りたない時に後悔だけで済まないと言う事です。
ただ、このような言い方は、「脅かし」に近いとも思いがちなので、要は本人次第と逆戻りします。
「なるようにしかならない」と言う考え方も必要だと言う事も認識しながらになるでしょう。
目に見える形の無い商品(≒サービス業)と言うものは、早く利得結果が見えない以上不安なのです。
3.自賠責の範囲をもっと広げればいい ⁉
そんな無保険車と事故に遭えば、その損害をカバーできない・してくれない時が出て来ます。
今の任意保険は、そんな無保険車にも対抗できるようになっています。
それが「無保険車傷害特約」と言うものです。
そして、もっと深く言われるのは、「自賠責の保証範囲をもっと広げればいい」と。
自賠責制度が出来た時から、被害者救済を目的として、制度成立以来その保証範囲金額の幅の改正がなされたと言います。
が、ある額以上(現在は、死亡時は、3000万円迄。要介護の後遺障害時は、1人4000万円)になっていない。
故に、その分、「任意保険」でカバーしましょうと言う事で、民間の損害保険会社の任意保険と言う「商品」が使われる。(任意保険は、自賠責より歴史が古く、自賠責保険は、1955年。任意保険は、1896年にイギリスで生まれている。)
しかし、これは、民間の商品。「自賠責で賄えない時は、任意保険でカバーしましょうではなく、逆に、自賠責の範囲を広げればいいのではないか」と問うと、任意保険が商品である以上、自賠責を広げれば、任意保険掛け金は減少してしまう。
それでは、民間の保険会社が成りたたない」と言う公式が成り立っていると言われるのです。
おかしな社会構造です。保険会社の利潤を公然と習得する構造なのです。人にやさしい社会(民主主義)から外れています。
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